![]() |
相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか 五十嵐太郎 浅子佳英 桑原茂一 柳本浩市 千葉雅也 菊田琢也 平芳裕子 小澤京子 坂牛卓 入江徹 森永邦彦 松田達 井伊あかり 永江朗 成実弘至 井上雅人 長谷川祐子 藤原徹平 本間直樹 木ノ下智恵子 フィルムアート社 2012-12-17 |
『相対性コム デ ギャルソン論』刊行記念トークショーが各地で開催されています。
2月6日はスタンダードブックストア心斎橋で研究者編が行われるようです。
皆さんはもう読みましたか?
今回はこの『相対性コム デ ギャルソン論』の感想をElasticの視点で書こうと思います。まず初めにあとがきを読みますと、本書の刊行には2つの背景があったようです。
1つは「パリコレ前夜のコムデギャルソンに言及したい」。
もう1つは「従来のファッションジャーナリズムとは違う視点を入れたい」。
そんな編者の思いが形になったのが本書です。
「映画・アニメの前日譚ブームに影響されたのですね、わかります」と次にまえがきを読むと、
「本書は必ずしもコムデギャルソンの批評集ではない」との但し書きが。
どうやら、エッセイ、対談、座談会となんでもありの形式のようで、
「外野が語るコムデギャルソン」「70年代というギャルソン外伝」的な、
そんな「外」からギャルソンに迫っていくのが本書の売りになっているようです。
ガチ批評なら「ノイズ」で片付けられそうな箇所が本書の主役です。
■論点のほとんどが「黒の衝撃」「脱構築」「こぶドレス」という被り率の高さ
「批評集ではない」ということで批評の強度には期待しておらず、
どんな新しい視点の提示があるのかな?面白いアプローチはあるのかな?と新書のようなエンタメ性に期待して一通り読みますと。全16本の論の中で「ポペリズム」「穴あきニット」「ぼろルック」という言葉が出てくるのが9本。これらキーワードは言うまでもなく「黒の衝撃」のことでそこから話を広げていくのがほとんどです。
この「黒の衝撃」に加え、「脱構築」と「こぶドレス(身体論)」の話も多く、
いつも通り、アート、デザイン、哲学からギャルソンを読み解くという手法です。
よくあるパターンは〇〇とギャルソンは似ていると対比させる論考。
例えば、ギャルソンと建築、ギャルソンとセゾン文化、川久保玲氏と妹島和世氏、
ギャルソンとプレタポルテ、ギャルソンとかわいい等。
その共通点を括ったり差異を指摘しながらギャルソンに迫っていくという感じです。
それはそれでかまわないのですが、その論考にほとんどオチがないのです。
外堀を埋めて今から本丸に乗り込もうとするところで俺たちの戦いはこれからだと終わってしまうんですね。
その良し悪しや評価を語る批評になっていない。川久保玲氏と妹島和世氏については、
「アヴァンギャルドさの裏に隠れがちなスタンダードさを突き詰めるという姿勢が
アヴァンギャルドさを際立たせておりそこが凄味の1つである」というような
評価をしており面白く読めたのですが、ただ、スタンダードに触れていて
なぜジュンヤにまで話を広げないのか。ギャルソンでベーシックを語るなら外せません。
頑なに川久保玲の世界で論を完結させようとしているのはなぜなのか不思議に思いました。
■徹頭徹尾「ギャルソン=川久保玲」
他の人の論考も徹頭徹尾「ギャルソン=川久保玲」で語られており、
それ以外はノイズという暗黙の了解でもあるかのようです。
外野が語るのですから、ファッション識者の語らないそのノイズ部分こそ私は読みたかったのです。
ギャルソンは16のブランドを展開しており(終了したブランドも含めると20以上)、
川久保玲氏10、渡辺淳弥氏4、栗原たお氏1、丸龍文人氏1という配分でデザインしています。
昔と違い複数のデザイナーで1つのユニットを形成しているので、
お題が「コムデギャルソン」なら川久保玲氏以外の論考もあってよいはずです。
それがなかったのが物足りなく感じた点です。それともう1つ。
「そういう時代(90年代)にファッションに夢中になっていった僕たち世代からすると、
コムデギャルソンを、ランウェイ上に登場した状態の服だけを対象にして前衛的だと捉えていく、
その語り方には若干違和感があって、そうじゃないギャルソンを体験してきたというか、
もう少し日常レベルでの「コムデギャルソン」という服の意味について、
今日は掘り下げていきたいなと考えているのです」
菊田琢也氏に同感です。前時代的なモード、デザイナーがインパクトの強いコレクションを
打ちだしそれがトップダウンでファッションとなり世に広まっていく。
その時の論考ならトップを押さえるほど精度が高く、デザイナーの内部に切り込みクリエイションを
分析するのが面白いのかもしれません。しかし、今はボトムアップ、
ストリートとモードが相互作用しファッションを作っていくと言われている時代なので、
視点を下に向けた話もあって良いのではないでしょうか。
ギャルソンもH&M、ビートルズ、シュプリーム、漫画など大衆どころとコラボしており、
プレイにブラックと大衆ラインも出しています。
■ギャルソンを語る新しい視点「かわいい」
そんなわけで、聞き手菊田琢也氏の千葉雅也氏へのインタビューは面白かった。
賛否両論あるのでしょうが、全力でネタに振り切るというスタンスが本書の中で異彩を放っており、
ラグタグ(ギャルソンは古着で買うもの、メンズはコーディネートで部分的に取り入れるもの)、
モテ(セクシー・下品さの抑圧、お高くとまっている)、
コムサデモード(フランス文化を搾取するギャルソン、ギャルソンを搾取するコムサという構図)など、
これぞ外野が語るコムデギャルソンというキーワードがポンポン出てきます。
菊田氏の論考「かわいいから読み解くコムデギャルソン」にも興味深い指摘がありました。
かわいいモチーフで溢れるギャルソンの服と日本のファッションを読み解く
最重要ワードの1つ「かわいい(Kawaii)」に注目、四方田犬彦著『かわいい論』の
「未成熟なものを肯定しようという姿勢」を援用しながらギャルソンとの接点を論じているのです。
「コムデギャルソンにおける「未成熟」。それは、おそらく次の3つの視点から
指摘できるのではないかと思われる。それは、①「性的」に未成熟であること、
②「美的」に未成熟であること、③「造形的」に未成熟であること、である」
少女性、未評価、未完成を未成熟にすり替える。なんだか狐につままれた
気分になりましたが一応は納得できました。
ただ「かわいい」に注目したのなら、かわいいの系譜の1つオリーブ少女(リセエンヌ)にも
言及して欲しかったなともやもやしていたら、
本書のトリを飾る工藤雅人氏の「COMME des GARC,ONS以前のコムデギャルソン-1970年代が可能にした
COMME des GARC,ONS」でそれが取り上げられているのです。
■70年代のギャルソンは「かわいい」
オリーブ少女をさらに遡ると、どうやら「かわいい」という感覚は70年代に表面化してきたようで、
サブカルチャーに精通している大塚英志氏が「カワイイカルチャー」と名付けています。
そのカルチャーと同時期に台頭してきたのがコムデギャルソンです。
孫引きになりますが、『アンアン』71年8月5日号の特集を紹介しましょう。
「コムデギャルソンて、知っていますか?とってもかわいい服を作る
既製服屋さんです。ちょっぴり男の子っぽくて、それでいてちゃんと
女っぽさを感じさせる服。ちっちゃな時に母さんが、手作りで編んで
くれたみたいなセーターに、メルヘンプリントのスカート。
ニットのパンタロンスーツには、赤ちゃん用の着物の
きれ地ブラウス。セーラーカラーで軍服風のパンタロンアンサンブル。
みんなとっても楽しい服ばかり・・・」
怖いというイメージさえあるギャルソンが70年代はかわいいと説明されていた。衝撃です。
その後も『アンアン』のリセ特集でギャルソンは何度も取り上げられ、
「ギャルソン≒リセ」という印象を受けるほどだと工藤氏は述べています。
それがどのように今のギャルソンになっていったのか。
その変遷は本書の「COMME des GARC,ONS以前のコムデギャルソン-1970年代が
可能にしたCOMME des GARC,ONS」を是非読んでみてください。
ちなみに「かわいい」のもう1つの代表的な系譜であるギャル。
こちらも70年代に登場した言葉です。79年の「OH! ギャル」という歌謡曲の
ヒットで「ギャル」が流行語になり定着しました。
「<中略>
MONDAY よろいで固めた聖女で過ごせよ
TUESDAY 男のペースで生きては駄目さ
WEDENESDAY せつない恋など知らないふりして
THURSDAY まだまだ気軽に落ちてはいけない
FRIDAY ルージュで心の熱さを教えて
SATURDAY 蝶々を迷わす怪しい花になる
SUNDAN SUNDAY
女の辞書に不可能はないよ
<中略>」
これは自立した女性を賛美している歌詞です。よろいのくだりは修道服と評された
ギャルソンのことか?と妄想し、後半は79年に少女から大人の女性向けの
服に変化していったギャルソンのことかな?と勝手に感じてしまいます(笑)
というのも、ギャルとギャルソンは共通項が多いなと思っており、
そういう視点で歌詞を読んだからです。共通項を挙げると、ギャルソンの黒の衝撃。
ガングロの黒の衝撃。シワ、穴、ほつれのボロルック。 汚ギャルのリアルボロルック。
身体のフォルムを破壊したこぶドレス。人間のフォルムを破壊したキグルミン。
16ブランドも展開しているギャルソン。 それ以上のバリエーションがあるギャルの多様性。
その他、初期と現在のイメージが大きく異なっている、昔のことが語られない(黒の衝撃、コギャルから話がスタート)、
外国で日本的なモノと最大級に評価されているのも黒の衝撃とガングロ、
そしてギャルもギャルソンも70年代に端を発しているのです(正確には
ギャルソンの創設は69年ですが)。
こうなってくると、ギャルソン論というよりかわいい論になってくるとは思いますが、
本書で何人もの方が「ギャルソンはかわいい」と指摘しているので、
ギャルソンとファッションを論じるキーワードとして「かわいい」が今後
増えていくのではないかと予感させます。ファッションは服という
作品だけではなく世に与えた影響それも含めてファッションです。
いつか、ギャルとギャルソンを対比したような刺激的な論考が出ることを
楽しみに待ちつつ(丸投げ)本記事を締めたいと思います。

コメント
コメント一覧 (3件)
かわいいは正義。花びらが散っても今日を生きないとダメですね。永遠の桜の木になってあの子やあの子を見守りたい
最近は本家よりジュンヤワタナベの方が着てる人多い気がする、、
ジュンヤの切り替えとかも可愛いんですよね~
最近品川庄司の庄司智春さんがお洒落だなぁと思ったら後で調べると全身ジュンヤだったんですよね~
なんかパパになって庄司さん最近振り切れた感じで好きです笑